大量絶滅事件後に続いて訪れた「衝突の冬」…哺乳類といえども、生き抜けたのは「4つのグループ」だけだった(ブルーバックス編集部)

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長い長い進化の中で、私たちの祖先は、何を得て、何を失い、何と別れてきたのかーー

約46億年と言われる地球の歴史において、生命が誕生は、遅くとも約39億5000万年前と言われています。そして、最初の人類が登場するのは、約700万年前。長い地球の歴史から見れば、"ごく最近"です。

しかし、そのホモ・サピエンスも、突如として誕生したわけではありません。初期生命から現在へと連綿と続く進化の果てに、生まれたのです。私たち「ホモ・サピエンス」という一つの種に絞って、その歴史をたどってみたら、どのような道程が見えてくるでしょうか。そんな道のりを、【70の道標(みちしるべ)】に注目して紡いだ、壮大な物語が『サピエンス前史 脊椎動物から人類に至る5億年の物語』(ブルーバックス)です。

この『サピエンス前史』から、70の道標から、とくに注目したい「読みどころ」をご紹介していきましょう。今回は、恐竜の絶滅に関係していると考えられている白亜紀末の大量絶滅と、その後の新生代の幕開けについての解説をお届けします。舞台が新生代に移り、哺乳類の多様化が加速します。

*本記事は、『サピエンス前史 脊椎動物から人類に至る5億年の物語』(ブルーバックス)を再構成・再編集したものです。

直径約10キロメートルの巨大隕石の落下

約6600万年前、直径約10キロメートルの巨大な隕石が、メキシコのユカタン半島の先端付近に落ちた。

直径「約10キロメートル」という大きさは、あまりピンとこないかもしれない。このサイズは、現代日本でいえば、東京を走る鉄道の環状線ーー山手線の内側が近い。なにしろ、日常的に暮らしていて、そうそう見るサイズではない。池袋駅と品川駅の直線距離が約11.5キロメートルだ。大阪でいえば、新大阪駅と天王寺駅の直線距離が約9.8キロメートルである。あるいは、「富士山3個分の高さ」と表現した方が伝わるだろうか。

ともかくもこの巨大隕石の衝突により、落下地点では直径180キロメートルにわたって地球表層がえぐられたという。もしも東京駅付近にこの規模の隕石が落ちたとしたら、南関東は瞬時に消滅することになる。

東京なら山手線の内側ほぼいっぱい、富士山3つ分の隕石が落下した photo by gettyimages

「衝突の冬」の到来

えぐられた地球表層は、細かな粒子となって、全地球規模の大気にばらまかれた。その結果、地表に届く日光が遮られ、寒冷化が始まり、植物が枯れ、植物を食べていた動物も、植物食動物を食べていた肉食動物も姿を消していく。

いわゆる「衝突の冬」の到来だ。

ノースウェスタン大学のスコテーゼたちが2021年に発表した論文では、このとき、地球の平均気温は6℃下がったという。現代日本の東京でいえば、7月の最高気温の平年値と、5月の最高気温の平年値の差にほぼ等しい。

再び大量絶滅事件の勃発となった。ハワイ大学のスタンレイが2016年にまとめた論文によると、このときの海棲動物の種の絶滅率は、68パーセント。陸棲動物の絶滅率は算出し難いところだけれども、鳥類をのぞく恐竜類、翼竜類などさまざまな分類群が姿を消した。

「衝突の冬」を通して、さまざまな分類群が姿を消した illustration y gettyimages

進化の歩みを続けようとする哺乳類

中生代を通じて、哺乳類は多様化を重ねてきた。

土を掘る種も、水中を泳ぐ種も、空を飛ぶ(滑空する)種も、樹木に登る種も、地中で暮らす種も、恐竜を襲う種もいた。

中生代約1億8600万年間、「恐竜時代」と呼ばれる世界にあっても、哺乳類は"進化の歩み"を止めることはなかった。とくに多丘歯類は、白亜紀後期に空前の繁栄を得ていた。