岸博幸「生き方を見直せたのは"人生の期限"を知ったおかげ」

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2023年1月、多発性骨髄腫という血液のがんに罹患(りかん)していることを知った岸博幸氏。余命10年と告げられた岸氏が、闘病の記録や今後の生き方、日本の未来への提案をつづった著書『余命10年。多発性骨髄腫になって、やめたこと・始めたこと。』を上梓する。それを機に、本書では綴られていない想いや半生、社会への提言について、改めて語ってもらう。

「なぜ自分が!」という想いがゼロではなかった

岸氏が罹患した血液のがん、多発性骨髄腫は10万人中わずか数名しかかからない、稀有な病だ。60歳まで大病をしたことがなく、健康そのものだっただけに、病名が判明した時は、「なぜ自分が」という想いがゼロだったわけではないと、岸氏。

「でも、自分ではどうにもできないことに囚われて、いつまでも悩み続けるのは性に合わない。病気になりたくてなったわけじゃないけれど、こうなってしまったらしょうがない。どんなに嘆いても、喚(わめ)いても、ナシにはできないのだから、この状況を前向きにとらえ、活用しようと考えました。

誰しも、必ず死を迎える日が来ます。ただ、その日がいつ訪れるかはわからない。だから、まだまだ先のような気がして、残りの人生に思いを馳せることなく、なんとなく"昨日の延長"を過ごしている人も多いのではないでしょうか。少なくても、病気が判明するまでの僕はそうでした。

主治医から余命10年という"目安"を示されたことで、僕は、人生に悔いが残らないよう、自分がやりたいことを思う存分やる決心がつきました。そういう意味では、病気になったのはラッキーだったと思います」

プレイヤーとして日本のために汗をかきたい

岸氏が今後の人生を賭(と)してやりたいこと。それは、日本の未来をよくするために、もう一度プレイヤーとなって汗をかくことだった。

「今のままでは、日本の将来はかなり暗くて、キツいものになると思います。そんな未来を子供たちに残してこの世を去るのは、ひとりの大人としてカッコ悪い。ならば、少しでも日本がいい方向に進むよう、自分ができることをしないといけない。今はそう考えています」

これまで岸氏は、経済学者やコメンテーターという立場で、日本が抱えている問題について持論を展開してきた。しかし、「ある意味安全な場所から、ああでもないこうでもないと評論しているだけでは、何も変えられない」と、思うに至ったという。

「もともと政策がらみの仕事をしてきたので、そちらに本腰を入れたいと思っています。地方創生や若い人の支援も、これまで以上に力を注ぎたいですね。すでに、今までの仕事は少しずつ整理し、その方向に舵を切っているところです。収入は当然減りますが、妻は案外どっしり構えていて、『お好きなようにどうぞ』という感じです。

妻は僕と性格が真逆で、おおらかで、明るくて、楽天家。病気がわかったばかりの頃はさすがに少々動揺していましたが、僕と結婚するくらいだから、本来、肝が据わった人間です。すぐに病気のことを冷静に受け止めてくれ、以前とまったく変わりない態度で接してくれていて、それがとてもありがたい。それどころか、僕が憎まれ口をきくと、『すぐに死んじゃうくせに~』なんて、"逆襲"してきますからね(笑)。

僕は人の縁に恵まれていて、ラッキーな人間だと自負していますが、彼女のような人が生涯の伴侶になってくれたことも、幸運のひとつだと思っています」

※続く